日々是口述161(R6・02・23)

世を糺す コトハノメノ神 ご出現 うそ偽りは 光に消える

 

このところのニュースは、実業界、芸能界、政界、宗教界、等々の嘘偽りに光が当てられ、連日のごとくに明かるみに出され、まさに糺され正されている。

噓偽りは全て言葉によって作られる。

コトハノメノ神様(言霊48音の神格化)のご出現にあたって「これからは私が(日本、世界)を護る」と言われたという。護ると言われた意味は、人の世の大本、人としての原点を糺して、正して、清らかな心を持った人類の世界にしてくださる神様の御意志が働きだすことではないだろうか。

我々人類として存在するための大本は、言葉である。思想も教育も知識も歴史も、文明文化の発展も、全て言葉がなくしてはあり得ないのだ。

「初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった」キリスト教聖書、ヨハネ伝冒頭の言葉である。そして「この言葉によって全てが作られた」とすれば、人間存在以前から、否、あらゆる物質存在の前に、言葉(言霊)は存在していたのだろう。

しかも「言葉は神」であるとすれば、神のご意志である言葉を使って噓偽りを言えば、必ず糺されることは自明の理である。宇宙自然の法則は現前として存在するのだ。

これからは、ますます隠されている偽りは明るみに出され「明るい清らかなエネルギー」が世界を浄めて行くに違いないと観じている。コトハノメノ神様は「明るい清らかなエネルギー」そのものの神格化されたお名前ではないか、と思うのだ。

 

この人類の文化、文明を子孫に伝える手段として言葉を記号化したものが文字である。

我らが先祖の残された最高の遺産だと思う。日本語で使われている漢字、ひらがな、カタカナは、人知によるものかと思っていたが、ひふみともこ文学博士の啓示集「神誥記」によると、「ひらがな、カタカナ(象神名)にはそれぞれ意味も込められて、神の祈りも直接顕し、神のご意図を写すものなれ、容易に汚すはゆるされず。」「漢字は人の作りし文字なれば、使うは自由に使うがよからん。なれど古代の神世の文字は、使うときには細心の、注意と尊敬、献身大切。」とあり、カタカナ(象神名)として用いる時には注意せよ、と言われている。

ひらがなは、常識的には漢字の草書体をもとに創られたというが、実は神代文字に「ひらがなの根本字」というものがあって、それがひらがなの元になっているという考えがあり、当会ではそれに共鳴している。

ともかく、「言葉の乱れは世の乱れ」と言われる如く、現代社会は誠にその状態である。

そこに現れたのが「いろはひふみ合気呼吸書法」である。神のご意志としてのひらがなを、発声しながら揮毫する時、その場の地場空間が清まり、人が清まり、そして次元が上昇するという。今世を浄め、世の平和に貢献する書法だと自負するのである。